自殺の心得

「生きてれば良いことあるよ」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「話聞くよ、力になるよ」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「一度深呼吸してみてください」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「死にたいと思うのは、生きたいという証なのです」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「生きたくても生きられない人がいる」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「自殺した人は地獄に堕ちます」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「自殺はすごく苦しいよ」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「この本を読んでみて、この曲を聴いてみて」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「俺(私)も昔自殺しようとしたんだよ、でもね・・・」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「本当は死ぬ気なんて無いんだろう?」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「死にたいなら勝手に死ねば?」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「死に損なうと苦しい思いするよ」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「親不孝なやつだな」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「遺された人のことを考えてください」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「他人に迷惑をかけるな」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

「死にたくても生きているあなたは立派です」

そうですか、じゃあ自殺しましょう

 

 

 

自殺を決心した人には、何を言っても無駄だ。

彼ら彼女らは、元気である演技もする。

取れる手段は何も無いのだ。

ありがたい格言も、優しい言葉も、薬もセラピーも、なんの意味もなさない。

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いのち

ずっと死にたい死にたいと思って生きてきた。

でもそれは、「死なずに生きてきた」ってこと。

だからこれからも死ぬことはないだろう。

その気持ちを大切にするし、大切にしてください。

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自分自身を無くそうとしても

あなたは腕を切るだろう。

あなたの細胞と体液は失われる。

私は爪を噛むだろう。

私自身を削り取るかのように。

しかしいくら自分自身をこの世から無くそうと企んでも、細胞は復活し、体液は生産され、爪は伸びてくる。

自分の意思に反して、身体はこの世に在り続けることを望んでいる。

死にたい

死にたいって検索して

はたまた死にたいって気持ちで

たまたまこんなブログにたどり着いてしまったあなた

縁を感じるって言ったら気持ち悪いかもしれないけど

まあちょっと聞いて?

人間なんていつか死ぬもんなんだから

あなたが今死のうといつ死のうと気にしないよ

今死にたいんなら死ねばいいし、

それが嫌なら、死ぬのを楽しみにして生きてみるのも面白いんじゃない?

まあそれだけだよ

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コリントの信徒への手紙 13章


たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、 やかましいシンバル。

たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。

全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。

 

愛は忍耐強い。

愛は情け深い。

ねたまない。

愛は自慢せず、高ぶらない。

礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。

不義を喜ばず、真実を喜ぶ。

すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。

 

愛は決して滅びない。

預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。

完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。

幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。

成人した今、幼子のことを棄てた。

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。

だがそのときには、鏡と顔とを合わせて見ることになる。

わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。

その中で最も大いなるものは、愛である。

丁度よい 藤場美津路

お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸もよろこびも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連の人生
丁度よくないはずがない
丁度よいのだと聞こえた時
憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏

ある銀河のある恒星を周回する惑星での出来事

 

「どうして私は生まれてきたの?」「私は何のために生きているの?」

生きる事にも、死ぬ事にも理由なんてない。

ただそうなっている、それだけだ。

生きる理由も死ぬ理由も存在しない。

 

どんな人間でも死んだら仏だ。

徳を積んで生きようと、堕落して生きようと死んだら仏だ。

名を馳せて死のうと、孤独死しようと。

同じ仏になるのだ。

 

人間が生きようと死のうと、ある銀河のある恒星を周回する惑星での些細すぎる出来事だ。

他の銀河に影響は及ばないし、宇宙全体からみてみたら、人間の想像の域を超えすぎるほど細かすぎる出来事だ。

「出来事」とすら表現できないかもしれない。

人間が生きようと死のうと同じ事だ。

 

だから死ぬ事なんて怖くない。

生きる事も死ぬ事も同じなのだから、生きる事も怖くないはずだ。

「生きる事」の何をそんなに怖がっている?

たぶん、世間体とか人間社会だけの小さな事に怖がっているんだろう。

怖がらずに死ねばいいと思うし、怖がらずに生きればいいと思う。

どちらを選んでも同じだ。

 

ある銀河のある恒星を周回する惑星であなたが一歩踏み出したとする。

そんな「出来事」は、宇宙からしたら些細な出来事だけど、あなたの中にずっと残る。

あなたの記憶や心の中に残り続ける。

その積み重ねを人生という。